薔薇の迷夢

ピチレモンについて書かれた日記

史上サイコ―に詳しい「ピチモオーディションの歴史」

GYOPI2013-10-13

■ピチモオーディションの歴史入門
おなじみ、ピチレに関する知識を、どこよりも詳しく解説する企画「史上サイコーに詳しい」シリーズ。今回のテーマは、ピチモオーディションの歴史です。

これまで、21回行われてきたピチモオーディションについて、オーデの成り立ちや制度の変更点を中心に、各年度ごとに解説していきます。

読むと、今でこそ、すっかり定着しているピチモオーディションですが、そもそも最初はどうやって出来たのか、どうやって進化してきたのかをはじめ、歴代ピチモの選ばれ方や、合格者の身分・扱いの変化が見えてきます。

なので、来年のオーデを受けようと思っている人だけでなく、ピチレモンやピチモに興味のあるすべてのピチ読が知っておいて損のないお話となるはずです。

これまでの三月の転校生の史上でも、特に長い文章、おそらくは、うちの日記で歴代トップクラスの長文になりますが、ちょうど連休中でもありますし、この機会、ぜひぜひじっくり、最後まで読んでみてください。


■1999年)ピチモオーディションの誕生
第1回のピチモオーディションが行われたのは、いまから14年も前、1999年となります。99年といえば、現中2の生まれた年。吉村花音ちゃんや山崎紗彩ちゃんと一緒の誕生となります。ピチモオーディションには、それだけ長い歴史があるのです。

そんな99年の2月号。ここで初めて、オーデ募集告知がなされ、結果的に7000名を超える応募が殺到。1回だけの書類審査を経て、その年の7月号で、合格者全19名が一挙発表されました。

しかし、この時点での、正式なピチレモンの専属モデルといえば、非オーデのみ。そこへ、一般読者から今回合格した19名が入ってくるわけですが、もちろん専属扱いではありません。芸能事務所に所属するわけでもなく、今の制度でいう「読者モデル」的な扱いで、ようするに、撮影に呼ばれたら、行ける人が行くという感じ。よって、定期的・継続的な登場は、ほとんどなく、この19人の中から、だれ一人、後に専属モデルに昇格することはありませんでした。


■2000年)第2回から定例化
それから半年後。2000年の2月号で、第2回のピチモオーディションの募集がスタートします。ここから、1次書類、2次面接の2段階選考といったように、審査が厳格になり、かつ、合格後に専属モデルへの道が開かれたこともあり、実質的な、ピチモオーディションの起源といえます。

合格者は、優勝の「グランプリ」と、それ以外の「準グランプリ」の2種類に区分され、基本的に、各回グランプリが1人、準グランプリが3人〜5人選ばれることになります。

ただし、今と違って、「合格後すぐに事務所が紹介され、ピチレ専属契約」という流れではなく、たとえ合格しても、事務所に所属することもなく、専属モデルという身分でもありません。

事務所については、いわゆる「編集部預かり」という形で、ピチレ編集部が、事務所の役割を担当する格好。モデル契約については、当時の募集要項にある通り「1年間、本誌に登場してもらいます」ということで、お試しの1年限定契約。その1年で結果が出ない、もしくは、人気が出ない場合、そのまま即卒業となり、人気が出た場合のみ、1年後に専属モデルに昇格することができました。

これは一見、厳しいように見えますが、なにしろ当時は、春と秋の年に2回の定期オーデがあり、それぞれ5人前後が合格します。すると、年に10人以上が新ピチモとして入ってくるわけで、当然全員をそのまま専属とすることはできず、ある程度ふるいにかける必要があったのかもしれません。

ちなみに、年2回と書きましたが、2000年から、2005年までの6年間は、2&3月号に募集し、6月号で合格発表となる「春(前期)」、7月号で募集され、10月号で合格発表される「秋(後期)」と、なんと1年に2回も、ピチモオーディションを実施していました。


■2003年)タンバリン引き受け
2002年の年末、ピチレモン提携のモデル事務所「タンバリンアーティスツ」が設立されます。すでに書いたように、2000年実施の第2回オーデ以降の合格者で、一般応募の場合、事務所に所属することなく「編集部預かり」となります。すると、どうしてもピチモとして以外の芸能活動は制約され、ドラマやCMなど、なかなか展開ができません。

反面、一般読者からオーディションを受け、合格してピチモになったという、事務所に所属しない組の中からも、グングン人気が出てくる子が出てきます。すると、編集部としても、本人としても、ピチレ以外での芸能展開をしたいわけです。せっかく、ピチモとして圧倒的なエースになったのだから、そのままピチレ外へも出て行って、売りたいわけです。

そこで、芸能事務所でないピチレ編集部のマネジメントも限界となり、「そこはプロに任せよう」ということで、モデル事務所との提携がなされることになります。よって、以後、2003年実施の前期オーディション、つまりは第8回オーデ以降から、合格者は全員まとめて、提携モデル事務所「タンバリン」が引き受けることになりました。

なお、これと同時に、それ以前に行われた第2回から第7回のオーデ合格者で、どこの事務所にも所属していないピチモも、原則としてタンバリンに所属することとなりました。


■2006年)年1回実施に統一
次に大きな変化があったのは、2005年の第13回オーディション。当回をもって、秋実施(後期オーデ)が終了します。これにより、ピチモオーディションは、現在同様、春実施のみ1回に統一され、以後、2月&3月号募集の、6月号合格発表という形になります。

やはり、年に2回も募集しても、たった数か月前に落ちた同じ子が応募して来たりするので、応募者の顔ぶれは、なかなか変わりません。なにより、合格発表後、すぐに次のオーディション募集告知が始まるわけで、まさに1年中オーデをやっているような状況。となると、編集部の負担も大きすぎて、この年2回実施は、割に合いません。年1実施こそが、応募者のレベル面、編集部の負担面、いずれにおいても効率的であり、実際、現在も年1実施が続いています。


■2006年)プリウリ賞の新設
ピチモオーディションの合格者に、ブランドが、特別賞を出すようになりました。具体的には、プリウリが、毎年の合格者の中から1人に「プリウリ賞」を出します。プリウリ賞を受賞した場合、ピチモオーディションの「グランプリ」との同時受賞という扱いになります。

で、その初代プリウリ賞受賞者が、2006年実施、第14回オーデ合格の前田希美ちゃん。なお、細かい知識になりますが、まえのんが初代プリウリ賞の受賞者だから、そのまま「第1代(初代)プリウリモデル」かというと、そうではなく、実際には「第3代プリウリモデル」となります。このへんの詳しい事情について興味のある人は、うちの「プリウリ賞特集」の記事を読んでみてください。(⇒「プリウリ賞の歴史」

とにかく、プリウリ賞に選ばれると、それから1年間、本誌のファッションページ「プリウリ」に、定期的に出られるようになります。歴代受賞者としては、まえのんはじめ、荻野可鈴ちゃん、岡美咲ちゃん、中山咲月ちゃんなどなど、いずれもが人気モデルへと成長していっています。そんな点からも、今年のプリウリ賞受賞者、鶴嶋乃愛ちゃんも、当然に将来が期待されます。


■*p7*(2007年)準グランプリの廃止
これまで、1位合格者が「グランプリ」、2位以下が「準グランプリ」と、合格者の中でも、厳格な区別があり、それがそのまま、その後の登場数、ひいては人気の上昇にも影響していました。

しかし、せっかく新ピチモとして入ったのに、イキナリ最初から「グランプリ」「準グランプリ」と格付けされていたのでは、とくに後者にとっては、たまったものではありません。新ピチモは、誰しも難関のオーディションを勝ち抜いてきたわけで、スタートは平等であるべきです。

そんな意見も多くなり、編集部もようやく重い腰を上げ、この2007年実施の第15回オーデから、合格者は全員が一律「グランプリ」として統一されました。「準グランプリ」の廃止です。

なお、前年でいうと、2006年の合格者に、のちに大エースとなる、まえのんや、その相方、黒田瑞貴ちゃんがいるわけですが、両者いずれも準グランプリでの合格。こういったところからも、すでに当時、グランプリ・準グランプリの区別は、意味がなくなりつつあったのかもしれません。


■2011年)タンバリンとの提携解除
2011年実施、第19回オーデにおいて、制度上、最も大きな改革がなされました。それが、「タンバリンとの提携解除」です。すでに書いたように、第8回以降の一般合格者は、全員が強制的にタンバリン所属となっていったわけです。

しかし、事務所が選べないというのは、将来的に芸能界で活躍したいと思ってピチモオーディションを受ける人にとって、ものすごくマイナス。そもそも、モデル系に行きたいのか、女優系に行きたいのか、アイドルがやりたいのか。それぞれの希望によって、事務所は選べるようにすべきです。

百歩譲って、提携事務所へ強制所属させられるなら、その事務所は様々な分野に強い大手事務所であるべきです。新人をしっかり育成できる事務所であるべきです。しかし、残念ながらタンバリンは、そのどちらにも当てはまりません。なにしろ10年間も、ピチモオーディション合格者を引き受け続けながら、ついに、たった1人も、有名女優を育てることができなかったのですから。

こうして、10年もの長期にわたり、全く実績の出せない提携事務所に対し、さすがに編集部も見切りをつけ、ようやく2011年実施のオーディションから、合格者の事務所を原則自由化。2011年こそ、1人だけ回しましたが、2012年&2013年と、ついに、タンバリンに1人も所属させませんでした。

なお、ここでひとこと言わせてもらえば、遅すぎです。三月の転校生では、5年以上前から、延々と「タンバリンを切れ」「タンバリンが元凶」と主張してきました。とにかく、これでようやく、オーデ合格者の事務所選択制を採っている二コラと、同じスタートラインに立ったといえます。


■2011年)震災の影響
2011年と言えば、もう1つ、オーディションにおける重大な変化がありました。もちろん、震災の影響です。1次合格者への電話が、ちょうど終わったところで起こった大地震。これにより、3月24日を予定していた2次面接は当然に中止となります。

その際、編集部も相当にバタバタしたようで、2次進出者への、新たな面接日程の提示連絡が、なかなか始まりません。中止連絡の後、編集部から改めて電話が来なくて、不安になった1次合格者も多かったようです。

とにかく、丸1カ月遅れて、4月になってからの2次審査となりました。よって、合格発表も、通常の6月号発表から、7月号発表へと、1ヶ月、ずれ込むことになります。なお、翌2012年も、さらに今年2013年も、7月号発表となっており、すっかり7月号発表が定着した格好です。


■2012年)3次審査制度の導入
2012年実施の第20回オーディションからは、これまた大きな制度上の変化が起こります。これまでの1次書類、2次面接(カメラテスト)という2段階選抜から、最終審査として、3次審査のカメラテストが追加され、3段階選抜へとなりました。

これにより、より厳しく、応募者の資質が見極められるようになったのはいいんですが、その反面、なにより一般応募者にとって問題となったのが、実は「お金」の面だったりします。

過去、2段階審査だった2011年までは、2次審査の行われる東京までの交通費は、全額を編集部が出していました。しかし、2012年から3段階となったことで、2次審査への交通費は、自己負担へ。編集部が負担するのは、3次審査の分だけとなりました。

これにより、基本的に「ピチモオーディションにはお金はかからない」という伝統がくずれ、特に北海道や九州といった、東京から遠い地方在住者にとっては、確実に、1度は東京へ行くための交通費を自己負担しなくてはならなくなってしまったわけです。

「交通費がかかるから、オーデを受けることに親の許可が下りない」「受かるかどうかも分からないのに、わざわざ東京まで交通費を出していけない」。そんな声も多く、実際、応募総数でみると、それまで、順調に伸ばしていた数字が、自己負担となった2012年は、伸びが止まり、公式発表上は前年まったく同一になっています。

とにかく、この、「2次審査の交通費自己負担」は、より優秀な人材をオーデに集める点において、今後も、ちょっとネックになってくるかもしれません。


■2013年)事務所所属者の応募禁止
2013年、またまたルール変更が行われ、応募条件として新たに「応募時、芸能事務所に所属していないこと」が加わりました。これで、応募者の全員が一般読者に限定。芸能事務所に所属し、芸能活動経験のある「プロ」が、排除されたことで、より公平なオーディションになることが予想されました。

というわけで、これだけ聞くと、一見、完璧な平等になり、いいことに思えますが、ことはそう単純なものではありません。ちょっと心配な点もあったりします。

もし、あと2年この制度の適用が早まっていたならどうでしょうか。応募時、スタダ所属の関根莉子ちゃん、応募時NEWS所属の福原遥ちゃんは、いずれもピチモになれなかったことになります。つまり、現エース「りこはる」が、そっくりそのまま、なかったことになるわけです。

そう考えると、適用第1号となった2013年のオーディション組から、将来、エースが誕生しない場合、「やっぱり、事務所組を排除したからだ」と言われかねず、再び「事務所組もOK」と、逆戻りする形でルール変更がなされかねません。そうないためにも、例年以上に今年の合格者には、がんばってもらいたいところです。


■まとめ
けっこう詳しく、大きな変化のあった年を中心に、オーデの歴史を見てきたわけですが、どうだったでしょうか。

さすがに「進化」ということで、「年1に統一」「事務所組の排除」や「タンバリンとの提携解除」などなど、年々改良が加えられ、かねてから三月の転校生でも主張してきた方向へと、制度変更が実現してきています。

とくに、今年から、事務所組が応募できなくなったことの影響は大きく、毎年確実に1枠は事務所所属者が取っていた合格枠が一般に解放されたわけで、わたしたち普通のピチ読者からの応募者にとっては、より受かりやすくなったといえます。

また、今年のオーディションの合格者を見るとわかるように、公式サイト「ピチレモンネット」にて、定期的に新ピチモによるブログがスタート。加えて、ほぼ毎月の本誌登場も用意されており、まさにオーディション出身の新ピチモにとって、読者への浸透という点、過去と比べ、圧倒的に有利な状況。

ということで、憧れのピチモになるには、いまが最大のチャンスといえます。このチャンスを逃さない意味でも、ちょっとでもオーデへの応募を迷っている人は、まだ先になりますが、ぜひぜひ応募してみてください。