薔薇の迷夢

ピチレモンについて書かれた日記

エース後継指名の歴史

GYOPI2013-09-14

■エースを考えるシリーズ
「のの単独」なのか、「りったん単独」なのか、それとも「SNRS」なのか、「りこはる」なのか。現在のピチモのエースにつき、ピチ読それぞれに、いろいろ意見があると思います。

そこでこの連休中に、じっくりとピチレモンのエースについて考えてみようということで、三月の転校生において、前編・後編の2部構成で「エースを考えるシリーズ」をやってみたいと思います。

具体的な内容としては、第1部の今日が「エースの後継指名」について。そして、第2部では「エースとリーダーの違い・役割分担」について、書いていく予定です。ということで、それではさっそく「歴代エース後継指名の歴史」からみていきましょう。


■エースはエースを指名する
「部長制度」のある二コラと違って、ピチレモンにおいては、現在のエースがだれであるか、公式に発表されることはありません。

それでも、表紙回数や毎月の登場数、その他、個人特集の扱いなどから、読者はなんとなく誰がエースであるかを想像することはできます。

なにより、エースとされるピチモが、自身の卒業にあたり、次のエースを指名する、いわゆる「後継指名」も公式・非公式に行われており、とにかく脈々とエースの座は引き継がれていくわけです。

ということで、以下、これまでに行われてきた後継指名の歴史について、その代表的な3ケースを見ていきます。


■2008年:あかね⇒まえのん
表紙回数23回を誇り、読者人気的にはピチモ史上最大のエースとされる壁谷明音ちゃんが卒業するにあたり、自身の後継として、次期エースに前田希美ちゃんを指名しました。

奇しくも、明音ちゃんの卒業となる号(2007年8月号)で、初表紙となったまえのん。そんなまえのんに、明音ちゃんがかけた言葉がこれ。

「これからは、のぞみんが後を継ぐんだよ」

その言葉の通り、その後のまえのんはエースに向かって一直線。最終的に、表紙回数23回、うちソロ2回と、まさに明音ちゃんに匹敵する大エースとなったわけです。


■2010年:まえのん⇒みみ
まえのんにも、やがて卒業の時期がやって来ます。で、まえのんが後継に選んだのは、もちろんオーデ同期で、2次面接控室からの付き合いの相棒、黒田瑞貴ちゃん。

この後継指名は、編集部公認の正式なものであり、その一部始終が、2010年10月号に「まえのん最後のピチ撮」として特集されました。

前田「ピチレをたのんだよ」
黒田「まかせて!」
(その後、しっかりと抱き合う)

こうして、すんなりと、まえのんからみみちゃんへ、エースの引き継ぎが完了。翌2011年からは、みみちゃんという存在感抜群の大黒柱が中心となってピチレを引っ張っていくということで、多くのピチ読は、「これでしばらくピチレも安心」と思った矢先―――。


■2011年:みみ⇒??
突然の、みみちゃん卒業発表が待っていました。なんと、あの感動の後継指名から、わずか2か月後。ちょっとしたアクシデントにより、2011年1月号をもって、みみちゃんがイキナリ卒業してしまったのです。

もちろん、急なことだったので、みみちゃん自身による後継指名はナシ。それどころか、卒業特集すらナシというあわただしさでした。

そもそも、「みみ後」として編集部の描く青写真は、当時、次世代としてようやく「100質」を経験し、次期エースの座が見えてきていた志田友美ちゃんに、バトンをつなぐことだったわけですが、いかんせん、その時点での友美ちゃんは、まだ中2ということで、エースとしては経験不足。

そこで編集部は、友美ちゃんまでの「つなぎ」として、埋め合わせ的に、みみちゃんと同学年の清野菜名ちゃんに狙いを定め、連載を持たせた上で、暫定エースとして、位置づけました。で、半年後の菜名ちゃんの卒業により、年度が替わって中3となった友美ちゃんが、満を持してエースに昇格するわけです。


■2013年:ゆうみん⇒のの
あとはご存じのとおり、「ゆうみんエース時代」の到来です。表紙回数、歴代ピチモ単独トップとなる28回。連続表紙登場記録は14ヶ月。数字的には最大のエースとされ、この記録は、おそらく今後も破られることはないでしょう。

で、そんな友美ちゃんが卒業に際し、後継として指名したのが、山口乃々華ちゃんでした。2013年4月号の卒業特集にて、ののちゃんにこう声をかけ、力強く励ましたのでした。

「今後のピチレは、ののに任せた!
 次世代エースとしてがんばって!」


■エースになりきれなかった理由
この2013年の春時点では、ピチ読の誰もが「次は、ののちゃんがエースになる」と信じて疑わなかったわけです。

しかし、実際は、高2組の卒業で新体制となって以降も、ののちゃんの本誌への登場数は意外と増えませんでした。表紙回数も、友美ちゃんの28回はおろか、まえのん&明音ちゃんの23回、みみちゃんの16回など歴代エースに遠く及ばず、現時点で、たったの6回。しかも、あっさり、後輩の関根莉子ちゃん(13回)にも抜かれてしまい、その差はグングン広がるばかり。

とはいえ、決してののちゃんの人気が出ないとか、編集部が推すのをやめたとか、そういうのではなく、むしろ「ののちゃん単独エース」を望む声の方が大きいくらいで、それは現在も、一切変わりません。では、ののちゃんがエースになりきれなかった理由とは、いったい何でしょうか?


■かけもちは甘くない
2013年8月号に、ののちゃんのを主役としたリアルストーリーまんが「ノンストップ のの」が掲載されました。ここに、そのヒントが隠されています。ポイントは、3ページの2コマ目、マネージャーさんによる「今月は1回しかピチ撮に行けないね」というセリフ。

ピチレモンの撮影は、基本的に、月に複数回行われます。前の正田編集長が、ピチモオーディションの関連質問に答えたところによると、「ピチ撮は、月1回から、多い子で4回」とのこと。つまり、エース級は、月に4回ほどピチ撮に参加する必要があるわけです。

しかし、まんがの通り、E-girlsとして全国ツアーやイベント、レッスンにレコーディングなどで忙しいののちゃんにとって、ピチ撮への参加は月1が限度。

さすがに、ののちゃん1人のために、他のピチモやスタッフさんがスケジュールを合わせるわけにもいかず、となると、必然、登場数も限られることになってしまいます。ということで、これが、ののちゃんがエースになりきれなかった、最大の原因です。

ピチ読的には、そしてなにより、”ピチモの”ののちゃん推しとしては、ピチモに集中して、大エースになってほしいという思いもある反面、やっぱり、ののちゃん自身の夢や将来を考えると、この「両立」という選択は、これはこれで正しい選択だったとも思えます。

実際、まんがの後半に「両方やってるからこそ、こうやって応援してもらえる」とあるように、この「かけもち」こそがののちゃんの出した結論であり、本人も納得しているところ。


■歴代エースとの環境の違い
ようするに、この環境こそが、これまでのエースと違うところなわけです。歴代エースを代表する友美ちゃんも、まえのんも、みみちゃんも、明音ちゃんも、さらには、準エースとされるナナちゃんも、吹田祐実ちゃんも、占部佑季ちゃんも、いずれもが、オーディションは一般応募であり、当時、どこの事務所にも所属していませんでした。かつ、合格後に所属した事務所も、バンバン仕事を取ってくる有名大手ではなく、全員が一律に「タンバリン」という零細弱小。

よって、なにより「ピチモだけに集中できる環境」にあり、人気の上昇次第で大エースになれる環境にあったというわけです。いくらでもスケジュールがあり、いつでもピチ撮に参加できる環境にあったわけです。

これが、ののちゃんの場合、オーデ応募時点で事務所に所属しており、いよいよピチレモンでの人気が上がってきたところ、まさにE-girlsに選抜され、ピチ撮のスケジュールが取りにくくなってしまったわけです。


ののちゃんはピチモのリーダー
ということで、大エースにはなれなかったものの、それでも、ののちゃんは、誰もが認めるピチモのリーダーではあります。

では、エースとリーダーとはどう違うのか。どんな役割分担があるのか。次回「エースを考えるシリーズ・後編」においては、過去のエース(センター)と、リーダー(キャプテン)の組み合わせについて、AKBなどのアイドルグループの具体例をあげつつ、ののちゃんのケースを中心に、詳しくみていきます。