■プリウリモデルとは?
毎年のピチモオーディションの最終合格者のうち、グランプリと同時に「プリウリ賞」を受賞した新ピチモが、以後1年間「プリウリモデル」として、ピチモと並行して、さまざまな場で活躍することになります。
具体的なお仕事としては、ピチレ本誌の「ファッションページ」はもちろん、プリウリ公式サイトやカタログに登場したり、さらには、全国各地で行われるプリウリのイベントに出演したりもします。
こうして、通常の合格者と比べ、プリウリ賞を同時受賞した場合、ピチモになってからの活躍の場がより保障されることとなり、人気モデルへのステップアップの可能性も広がるというもの。
実際、過去のプリウリモデル経験者としては、大エース前田希美ちゃんが誕生したほか、すイエんサーで中心的なすイガールとして活躍する岩田宙ちゃん、少なかった本誌登場数と比べ圧倒的に読者人気が高かった岡美咲ちゃんなどがいたりします。
■のあちゃん、初イベント!
で、今年。プリウリ賞を受賞したのは、ご存じのとおり鶴嶋乃愛ちゃん。乃愛ちゃんは、さっそく今月21日に、広島で行われるプリウリイベントに、現ピチモのエースコンビ関根莉子ちゃん&福原遥ちゃんとともに出演が決定。もちろん、同期の新ピチモに先駆けての初イベント経験となります。
また、来月号以降のピチレでは、新プリウリモデルとして、プリウリ関連のファッションページに登場。ただでさえ、「新ピチモ第一印象人気投票2013」にて、圧倒的な得票で1位となった乃愛ちゃんですので、今後、ますますの人気アップが見込めるところです。
■10代目プリウリモデル
そんな乃愛ちゃん、プリウリの公式サイトにあるように、このたび正式に「第10代目プリウリモデル」へと就任しました。(⇒10代目Priuriモデル決定)
するとここで、「第10代」という数字に引っかかるわけです。そもそも、「10代」ということは、過去9人がいるわけで、では、過去の9人って誰だろう? そんな点が気になる人もいるかと思います。
また、ちょっとピチモに詳しいひとなら、新たな疑問が浮かぶところ。つまり、「プリウリ賞」という制度がスタートしたのが、2006年のオーデから。で、ここで、まえのんが、最初のプリウリ賞受賞者となったわけです。ところが、この2006年合格のまえのんが初代とすると、2013年の乃愛ちゃんは、普通に数えて8代目プリウリモデルになるのではないかということです。
ということで、以下、このナゾの解答を探すべく、記念すべき初代から、現役の乃愛ちゃんまでの全10人の歴代プリウリモデルについて、まとめてみます。
■歴代のプリウリモデル
10代目 第21回オーディション(2013年実施)「プリウリ賞」:鶴嶋乃愛 09代目 第20回オーディション(2012年実施)「プリウリ賞」:吉村花音 08代目 第19回オーディション(2011年実施)「プリウリ賞」:中山咲月 07代目 第18回オーディション(2010年実施)「プリウリ賞」:岡美咲 06代目 第17回オーディション(2009年実施)「プリウリ賞」:岩田宙 05代目 第16回オーディション(2008年実施)「プリウリ賞」:井手上梓 04代目 第15回オーディション(2007年実施)「プリウリ賞」:蒲田華恵 03代目 第14回オーディション(2006年実施)「プリウリ賞」:前田希美 02代目 ?? 01代目 ??
■プリウリのピチレ上陸
2005年7月号のファッションページ(127ページ)に、「ピチレモン初お披露目!人気ブランド『プリウリ』がついにピチレ登場」とある通り、プリウリがピチレに載ったのは、2005年の夏(同年オーデ終了後)ということになります。
すると、3代目のまえのんが、翌2006年のオーデ出身ですので、まさに最初のプリウリ賞の受賞者ということが分かります。で、ここでのポイントは、まえのんは「初代プリウリ賞受賞者」であるということ。決して、「初代プリウリモデル」ではないということです。
では、まえのん以前の、初代&2代目プリウリモデルの2人は、いったい誰なんでしょうか? ピチモではないのでしょうか? どこで調べればその存在&記録が出ているでしょうか?
■どこにも出ていない!?初代&2代目プリモ
7月現在、初代&2代目プリウリモデルに関して、ネットで調べても、実はどこにも出ていません。ウィキペデアはもちろん、プリウリの公式サイトにさえ、載っていないのです。2代目については、2005年当時のピチレ本誌や、この三月の転校生にちょっと出ているので知っている人もいると思いますが、初代については、一切の情報がナシの状態です。
そこで、今日、改めて初代&2代目について書いてみたいと思います。と、その前に、まずはプリウリモデルの仕組みと、プリウリがピチレモンに初上陸した当時のことを簡単に振り返ってみます。
■プリウリモデルの仕組み
記念すべきプリウリのピチレ初登場は、2005年の7月号から。ここでは、ピチレには珍しいケースである、自前モデルを持ち込んでのファッションページ撮影となりました。
ピチレは、基本、ファッションページといわず、ほぼすべてのページにピチモが登場します。そもそも、そのための専属モデルですので、当然のこと。一部の広告ページを除いて、全てのページに、ピチモ、もしくはピチ読代表が出ることになります。
ですが、この7月号でのプリウリのケースは、例外。「プリウリモデル」として、自前のモデルさんを持ち込んでの撮影でした。この時のモデルさんが、片山栞さんで、正確には、2代目プリウリモデルということになります。
以後、翌年の3代目まえのん就任まで、ピチモでない外部モデルがピチモといっしょにピチレに出るという珍しい事態となったわけです。なお、もちろん、まえのん以降は、正式なピチモである各プリウリ賞受賞者が、それぞれ任期1年ごとに交替して、現在の乃愛ちゃんに至ります。
■初代&2代目の正体
ということで、2代目は、栞さんということが判明しました。でも、ピチ読なら、ここまでは過去のピチレを読み返すことで、たどりつくことができます。では、問題の初代は?
そんな初代は、現在もモデルとして活躍する宮城夏実さん(⇒参考:公式プロフィール)となります。もともとは、「ピチレ」「二コラ」「ハナチュー」「ラブベリー」と並ぶ5番目の中学生雑誌「メロン」の専属モデルさん。のちに同誌の休刊により、「二コラ」へ移籍しました。
そんな夏実さんは、メロン2004年10月号付録「melonモデル公式BOOK」によると、当時最年少の中1にして「Bクラス分類」(A・B・Cの3段階)ということで、将来を期待されたモデルさんであったことがわかります。
とにかく、2005年のメロン休刊により、夏実さんは、二コラ移籍。一方、プリウリはといえば、新たにピチレでの展開へと進んでいったわけです。
■まとめ
以上をまとめると、もともとプリウリは、メロンにてブランド展開していたところ、休刊により、ピチレへと足場を移行。
これにともない、当初はピチレ誌上においても自社モデルをプリウリモデルとして起用していたものの、さすがに郷に入っては郷に従え。翌年以降は、ピチモオーディション合格者の1人に「プリウリ賞」を出すことで、純正ピチモの中から、毎年プリウリモデルを選ぶようになっていったということになります。
ということで、今後、だれかに「初代のプリモって誰?」「2代目ってピチモなの?」「まえのんって、なんで3代目なの?」などと聞かれた場合、これで正確に答えることができるようになったと思います。もし何か機会があったら、ぜひ、今日の知識を生かして、友達にひけらかしてみてください。